ITS & Automotive Systems

本ブログは Research & Consulting on ITS/Automotive Systems (www.sakuraassociates.com) のコメンタリーとインタビューのサイトです。ご投稿は敬意を以って歓迎、尊重致します。Norio Komoda 製作開始 2006年1月、公開 2007年1月

January 01, 2006

アイスブレーカ:日米比較に学ぶ

Norio Komoda

  目次
1.はじめに
2.出身地
3.トヨタ自動車において自動車とITSに出会い
4.米国との関わりとカルチャーショック
5.ITS分野におけるモノ作り文化の日米対比
6.おわりに

1.はじめに

私は、米国のSan Francisco Bay Areaに居て、ITSと自動車に関する動向をウォッチする仕事を通じながら、同時に、様々なアメリカ事情を、長年学んできた。そうして、いわば漠然と無意識に、感じたりした諸現象を、日米対比したり、歴史に照らして観察したりするうちに、自然に、諸々の特徴や長短がよく見えると言う基本姿勢に立っていることに、最近になって、やっと気付いた。この機会を捉え、振り返って、『日米比較に学ぶ姿勢』をテーマに、私のアイスブレーカに代えさせて頂くことを試みた。

2.出身地

1940年、尾張名古屋の産で、ここ尾張と三河地域は、昔からの八丁味噌や米酢の産地であると共に、今は、自動車産業の集積地となってきている。


私の先祖の里は、海山が大変のどかな四国は香川県の西讃岐で、7世紀に弘法大師を生んだところにある。弘法大師ゆかりの四国八十八ヵ所のお遍路さんの札所がいくつかあり、弘法大師が計画し、大規模な土木工事を指揮したとされる満濃の池に代表される大小の溜池が至るところにある。ここは、大昔から稲作が盛んで、高い人口密度を養い、上質な讃岐米を生産してきている。私の祖父も戦前から、農地や果樹園の開拓のために、大きな溜池を裏山の中腹に造成し、それは、今も香川用水の中継溜池として活きている。瀬戸内海の幸は豊富で、私の里の沖にある伊吹島の『いりこ』は上質である。また、柑橘類や梨の栽培や、江戸期から明治に讃岐三白とされた、砂糖、塩、綿の産地であった。私は4-5才の頃、疎開のために、そこの祖父母のもとに2年近く預けられたことがあった。海辺や山麓で遊んだ楽しい記憶が、鮮明に脳裏にプリントされている。そこは、現在、日本の町村の過疎化の典型となりつつある。政治と産業政策に忘れられた残念な姿がある。

3.トヨタ自動車において自動車とITSに出会い

日本の再興を象徴する東京オリンピックの翌年、1965年に京都で工学修士を得てトヨタに入社し、非常に密度の濃いな36年間を共にさせて頂いた。その間、日本の高度経済成長と共にトヨタは月産数千台から約100倍の約40万台に成長した。

トヨタでは、一貫してクルマの製品開発を担当し、最後の12年間はクルマと道路のインテリジェント化を行う官民共同プロジェクトに携わった。
このプロジェクトはITS:Intelligent Transport Systemsと呼ばれる。それまでは、クルマは、クルマの中だけで、諸センサーによる情報表示やアクチュエータによる制御を行ってきたものを、様々なクルマの外部環境を検知して、安全性や渋滞緩和等の為に、クルマと道路をセンサーや通信で結び、情報提供や警告、制御を行おうとするもので、画期的な革新分野である。デジタルマップに基づくカーナビ、交通情報提供サービス、ETC (無線による有料道路の通行料の自動料金収受システム)、レーダによる追突防止等があり、ITSと総称される、深い先端技術と裾野の広いビジネス分野に広がってきている。そうした業務に携わったお陰を以って、2000年にトヨタを退いた後、米国はSan Francisco Bay Areaに於て、ITSのコンサルティングを開業し、今に至っている。

4.米国との関わりとカルチャーショック

私の米国との関わりは、1969年から2年弱の間、トヨタから派遣され、ミシガン大学の交通研究所 (現在のアムトリ:UMTRI:University of Michigan Transportation Institute) に於て、車両の安全基準:FMVSS (Federal Motor Vehicle Safety Standard) の共同研究に参画したことに始まる。

非常に激しいカルチャーショックがあったと記憶している・・・日本で何年間も学んできた英会話が中々通じなかったこと、余りにも異なる習慣や文化、当時、ウーマンリブやサイケ調のアートの活動等もあったが、それらの社会的、歴史的、文化的位置付けが全く分からなかった。また、今でこそ、日本の優れた点として、例えば、モノ作りだとか、食文化、日本人の責任感等が良く理解されているが、当時は殆ど全てアメリカが良いとされていた。日本食レストラン等は、ミシガン州にはどこにも無く、シカゴまで走らなければならなかった。しかし、このショックが、非常に強いばねになって、その後の頻繁な海外諸国との接触の際に、国際事情や英語を良く学ぶことが出来、特に、日米については、対比を行いながら、何故そうなのかと考えることが大変楽しみになった。

最近、リサーチ業務として、日本国際企業のGlobal化に伴い、海外駐在員の人事管理を如何に行っているかについて、欧米の自動車・電気関係の
国際企業5社を調査したことがある。その結果、非常に興味深い重要な諸現象と提言が抽出された。それについては別の場に譲るが、このリサーチを通じて、私は、自分の35年前に遭遇した、破天荒な駐在経験の位置付けが、今になって、やっと自ら理解できた様な気がした。それほど、異文化と多様性の理解には、時間と世代を越えることを要する困難な事柄なのである。

5.ITS分野とモノ作り文化の日米比較

米比較の一端を、私のITS分野に於て触れたい。概して、新概念や新システムの構築、その基礎研究分野ではアメリカが優れ、最初に発言することが多い。しかし、一旦、開発の緒について、実用化と普及に向かうと、断トツに、日本のモノ作りの実力が発揮され、日本がリードすることが多い。私は、この傾向を、永年、モノ作り産業の渦中に居て、日米比較をしながら観察してきたが、ここで主要な観点を3点ほど、紹介させて頂く。

第一に、ITS分野で言えば、個々にナビやVICS等の分野は、日本が格段に普及が進んでいる。また、そうした研究開発は、またそれぞれ根強い基盤があって、遥か前に遡って開始されている。しかし、交通・輸送を包括的な概念で、広く、道路環境、自動車、公共交通などに対して、センサーや通信を用いて、高度に情報提供や制御をして行こうと言うITS分野を総合的に推進する考え方は、残念ながら、欧米がリードした。幸いなことに、殆ど同時におれをキャッチしたため、スタートに遅れはなかった。しかし、そうした概念で捕らえて包括的にスタートすると、一部の分野では日本が進んでいても、当然、その他の分野は、欧米が先行することになる。具体的には、ETC、物流管理、セキュリティー等々の分野は欧米リードとなった。

どうもわが国は、そうしたコンセプトで捉えて進めることについては、伝統的に海外から持ち込んでいる様である。地理的にも、歴史的にも、日本は海で閉ざされた国で、海外事情を昔から命がけで取り込み、熟成させてきている様だ。いわば、島国の悲しさから、 良くも悪くも、海外の文物を渇望することになりがちで、時期を得て、これらを上手く熟成させていると言える。遡れば、日本初の国家留学制度は遣唐使で、7世紀から200 年に20回も続けられている。私の郷里の弘法大師も第17回目の遣唐使であったと聞いている。また、江戸幕府は300年間も鎖国し、更に、国民の転職・転 地を禁じたが、結果的に国内文化が熟し、各地に優れた伝統工芸が生まれ、現在も、日本全国各地で引き継がれている。これは現代のモノ作り産業の伝統的な基 礎をなしている。幕末に渡来した欧米人が、日本の職人芸に魅了された観察記事が残されている。例えば、大工のかんな削りの精緻さは、とても西欧 の及ぶ所では無いと感心している。現在、米国各地のお土産売り場にある工芸品と対比してみれば、その地方伝統工芸の熟成度に格段の差があることは、日本人として誇らしく 思える。一方、江戸幕府は、鎖国しつつも、和蘭貿易を通じて利益を上げると共に、海外文物を熱心に吸収し続けている。江戸期の後も、そのトレンドは更に激しく、幾つかの戦火はあったものの、国を挙げ海外に学びながら、産業、文化、政治等の改革を行ってきている。

第二に、モノ作りの為の和や自己犠牲の精神と共に、個人や組織の役割分担の隙間:Gapを埋める努力の差は、平均的に見て、格段に日本人が優れている。米国にはチームワーク尊重の精神は確かにある。然し、モノ作りは、決められたルールのあるスポーツやゲームの世界ではない。時間が来れば終わるものでもない、ジャッジが面倒な判定を裁けば良いものでもない。いつも新規な問題が続発し、思いも寄らない、何が起こるか分からない現実の場に於いて、和や自己犠牲の精神によって、個人や組織の役割分担の隙間を埋める努力が要求される。職人気質だった日本のモノ作りの伝統は、日本の高度経済成長の間に、そうした組織的、システム的なモノ作りに長けた、百戦錬磨の達人を、数多く誕生させてきている。これは揺るぎがたい日本の貴重な人的、遺伝的資産と言って良い。ここで主題とするITSの様な官民プロジェクトは、巨大な業際分野であり、多くの利害が相反する組織が関係している。その分野で、幾多の難関があって、相当な努力の結果ではあるが、調和を持って推進する優れた資質が日本人と日本の組織にはある。既に、ナビ、VICS、ETC、
交通管制、ESV技術の育成、等々の場で、そうした伝統的な協調精神の基盤が実証されてきており、そのために参画各位・各組織が払った膨大な協調のための努力と自己犠牲の精神を忘れてはいけない。

第三に、ITSは、資源を余り要しない、知恵によって推進できる分野が大部分である。勿論、例えば、マルチモードの交通・輸送の結節点を円滑化するためのインターモーダル総合駅の企画などは、設営に巨額資金が要るが、格別の資源ではない。一旦、これは良いと言うシステムやユニットが、煮詰り、合意に至れば、直ぐにもプロトになり、フィールドテストに至り、やがて、モニターやモデル設営に進められる。そうした推進プロセスを支える、精神的、産業的な、深く強い根っこが日本には出来ている。日本は現代産業に必要な資源は、どこを掘っても、掘っても、豊富には出てこない。16世紀、日本の歴史の一瞬に、金産出が世界一となったが、江戸期に枯れた。そのとき、丁度、マルコポーロによって、黄金国ジパングと紹介されたが、これが唯一、一瞬の例外で、弥生時代から、この島国の人々は、稲作とモノ作りに励んで来ている。資源の貧困さが、国家産業構造として、これらに生計を掛ける、芯の強いバックボーンになってきていると思われる。トヨタ式生産方式やトヨタウェイは、これらの日本の歴史的な良い伝統の上に構築され、磨き上げられた、一つの集大成であると言えるのではないだろうか。

6.おわりに

私はアメリカ事情を、ITSと自動車技術の仕事を通じて学んできたが、そうして学んだり、感じたりした諸現象を歴史に照らして、日米対比によって観察すると特徴や良い点がよく見えると言う基本姿勢に、極く自然に立っていることに、最近、ようやく気付いた。

この観点から、ここ米国に移住ないし滞在されて居られる日本やその他の国の方々や、米国人と懇談することに非常に意義を感じており、共に学びたいと願っている。ここSan Francisco Bay Areaは、こうした観点から、他にも増して、大変恵まれた土地柄であると感じている。